ZIGGY

ZIGGYファンならこれも聞け!

何がなんでも外せないのがAEROSMITHHANOI ROCKSこの2バンドはZIGGYのルーツとして欠かす事は出来ない。ZIGGYの初期作品からは、彼らの楽曲から拝借した部分があちこちに見受けられるが、これはパクリというよりも「オマージュ」と呼ばれる対象への深い愛情と敬意を示した遊びなのである。

AEROSMITHAEROSMITH

THE ROLLING STONESやYARDBIRDSのコピーバンドから出発したエアロスミスは、70年に結成され73年「野獣生誕」でデビュー。このアルバムから壮大なバラード「DREAM ON」がスマッシュヒットを記録し注目を浴びる。

やがて75年には「闇夜のヘヴィロック」、76年に「ロックス」と立て続けにロック史に残る名盤を発表。ボーカルのSTEVEN TYLERとギターのJOE PERRYの2人のカリスマを中心にしたハードロックサウンドは、この時点で頂点に立った。しかしメンバーはドラックに溺れ徐々に失速。79年JOEの脱退以後バンドはどん底に陥り、82年一旦解散。しかし84年JOEの復帰とともに再結成。ラップグループRUN D.M.Cが、彼らの75年のヒット「WALK THIS WAY」をカバーした事をきっかけに再び注目が集まり、87年のアルバム「PARMANENT VACATION」から「DUDE」「ANGEL」などのヒットシングルが生まれ、再び第1線に復帰。以後、出すアルバムは必ず大ヒットするスーパーバンドとして現在も活躍中。近年でも大ヒットした映画「アルマゲドン」の主題歌「MISS A THING」を担当。彼ら初の全米NO.1シングルになった事も記憶に新しい。

ボーカルSTEVENのルックスやボーカルスタイルに森重が大きな影響を受けている事は、ZIGGYファンならば誰もが知ってる周知の事実。またエアロは、脱退していたメンバー復帰で息を吹き返し、新たな黄金時代を築いた数少ないバンドだけに、ZIGGYファンはZIGGYも彼らのような華々しい復活をする事に期待している。

オススメアルバム
  • 「ロックス」(’76)
  • 「パンプ」(’89)
  • 「BIG ONES」(’94) ※ベスト盤

HANOIROCKSHANOI ROCKS

90年頃、森重がこのバンドのボーカリスト、マイケル・モンローにあまりにもソックリな格好をしていた事もあったし、ちょうどその頃来日していたマイケルとZIGGYが共演。ライブビデオ「BIG MOUTH」にはハノイのカバー「DON’T YOU EVER LEAVE ME」が収録され、森重と戸城が意気投合させた頃はハノイの話題で盛り上がり…など書き出したらき出したらきりがないほどZIGGYとは縁が深いバンド。それがHANOI ROCKSだ。

彼らは、こういったタイプの音楽で世界に出るには(当時としては)珍しいフィンランド出身。81年「BANKOK SHOCKS SAIGON SHAKES」でデビュー。チープなヘナヘナのサウンドだが、キラリと光るメロディはこの時から健在だった。

バンドは拠点をロンドンに移し、やがてドラマーが交代。これによりバンドが引き締まった彼らは、83年「BACK TO MYSTERY CITY」を発表。「HOW」との共通項がやたら指摘される「MALIBU BEACH NIGHTMARE」のヒットにより注目を集めはじめる。そして84年アメリカの大手レコード会社CBSインターナショナルと契約を交わし、最高傑作「TWO STEP FROM THE MOVE」発売。ここから新たなR&Rヒーローの伝説が始まるはずだった。

しかし、Mötley Crüeのヴィンス・ニールの運転する車が衝突事故を起こし、同乗していたドラマーのラズルが他界。これによりバンドは解散に追い込まれ、ブレイク寸前で消滅した悲劇のバンドとして語られる事になってしまった。中心メンバーのマイケル・モンローやアンディ・マッコイはソロとして活躍していたが、02年に再結成アルバム「Twelve Shots On The Rocks」というアルバムを発表し復活。その後精力的に活動を続け2008年に再び解散した。

オススメアルバム
  • 「TWO STEP FROM THE MOVE」(’84)
  • 「グラマラス・イヤーズ」(’96)※ベスト盤、森重樹一選曲!

と、ここまで書いて気がついたが、こんな調子で進めてたら膨大な文になってしまうので以下は軽く(?)流す事にした。ご了承ください。


ハードロック・ヘビーメタル

ZIGGYのメンバーの世代には、DEEP PURPLE、LED ZEPPELINの2大HR巨頭が神のように崇められているものだが、ZIGGYのメンバーからは、あまりこの辺の色は感じられない。(もちろん、それなりに聞いてはいただろうし、松尾はジミー・ペイジのギターフレーズをそのまま拝借していたり、彼にソックリな衣装でステージに立ったこともあるが…)

ZIGGYと比較されるのは、やはり80年代中盤から後半に起った「L.A メタル」「バッドボーイズロックンロール」と呼ばれたムーブメントの渦中にいた人たちであろう。中でも代表的なのは2バンドを紹介。

MOTLEYCRUEまずはMötley Crüe。戸城が、音楽的にもファッション面で多大な影響を受けていた事でも忘れる事は出来ないだろう。私の個人的意見ではMötleyはあまり好きではないのだが、90年の全米№1アルバム「DR.FEELGOOD」(’89)は、この手の音楽の頂点ともいうべき名作とされているので、初期のZIGGYの音を愛するファンは必聴。


GUNS続いてGUNS N’ ROSES。USのメジャーでの1stアルバム「APPETITE FOR DESTRUCTION」(’87)はロック史に残る大名盤で必聴!そういえばGUNSとZIGGYは、同年デビューの同期で、戸城は「オレたち同期の他のヤツには勝ったけど、GUNSにだけは負けたんだよな」と言っていた。GUNSは現在メンバーの殆どが脱退し、リーダーのアクセル.ローズのソロ同然になってしまい、新作も出ていないが、彼らが順調に成長してれば90年代最大のロックヒーローにだってなれたかもしれない。現在のHR/HM市場の冷え切った現状の責任は、彼らにもあると言っていいかもしれない。


他にZIGGYのメンバーとも対談などで面識のあったPRETTY BOY FLOYDL.A.GUNSなどもチェックすべき。また刺青だらけで「I LOVE THE COCAINE」と歌う、いかにも、いにしえの「バッドボーイズR&R」の後継者といったBUCKCHERRYも忘れてはならない。The Wildheartsも、森重が90年代のアーチストで最も敬愛するバンドとして挙げておこう。


グラムロック

グラムロックとは、音楽的な定義は無く、「70年代前半に登場した化粧バンドがやってた音楽」と考えてもらっていい。そのため代表的なバンドのやってた音楽に近いモノが「グラムっぽい」と言われる音楽である。そのグラム2大巨頭がDAVID BOWIET-REX

BOWIEまずDAVID BOWIEだが、言うまでも無くZIGGYの名前は彼の名盤「ZIGGY STARDUST」(’72)から取られている。そういう意味でも必聴。

60年代半ばにデビューした彼は、69年「Space Oddity」のヒットにより一躍注目を集める。その後、敏腕ギタリストミック・ロンソンらを中心にしたバックバンド「スパイダー・フロム・マーズ」を従え、70年代前半1大ムーヴメントを巻き起こす。その後も常に新しい音楽スタイルを模索し、変化し続け、人々を驚かせた彼の姿勢は脱帽だ。もちろん現在も第1線で活躍中。


TREX一方、T-REXは、森重の大学の卒業論文が「T-REXとグラムロック」であったり、日本盤CDのライナーを書いたりしている事もありやはり外せない。あまりにもシンプルでチープ、しかし独特のサウンド…。初心者は、まずベスト盤から入るべきだと思うが、アルバム単位では「スライダー」(’73)がオススメか。


森重がトリビュート盤に参加したり、彼らの代表曲「ALL THE YOUNG DUES」をパクったりしている事からもMOTT THE HOOPLEも外せない。ワイルドでメロディアス&独特の淫猥な雰囲気などZIGGYとはかなり共通する所が多い。森重がステージでサングラスをすると、このバンドのボーカリストIAN HUNTERソックリになるというのが私の意見だが…。

エアロやハノイが好きなZIGGYファンは多いが、MOTTを聞くZIGGYファンが少ないのは残念だ。BEST盤「黄金の軌跡」(’75)「革命」(’73)をオススメする。


メロディアスPOPロック

ZIGGYの持つ「メロディアス」という武器はこのジャンルの影響が濃いはずなのに、これまたZIGGYファンでこのジャンルを聞く人が少ないのは意外な気もする。

BCRまず、ZIGGYのメンバーの世代の洋楽ファンなら誰もが聴いてたBAY CITY ROLLERS。アイドルバンドとして女性に絶大な人気があったため、硬派な男性ロックマニアからは迫害を受けたが、実は彼らも密かにレコードを持っていたりしたものだ。筆者の姉も彼らの大ファンだったため、筆者も初の洋楽体験はこのバンドだったりする。

とにかく誰でも親しめるこのPOPな曲の数々は、現在も多数のBEST盤が出ているので、変な先入観ナシに聴いて欲しい。森重も94年のインタビューで「オレの曲作りのルーツになっているのかもしれない」と発言している。


BEATLESもう一つ、ロックファンなら全員必須科目THE BEATLES、彼らの事はここに書かなくても膨大な資料やWEBサイトがあるのでそちらを見て欲しいが、私が何よりも言っておきたい事は「BEATLESを聴いておけば世界が広がる」という事だ。彼らはデビューから解散まで7年半の活動の中で様々な挑戦をしている。ロックのあらゆるジャンルを広く網羅している彼らのサウンドに慣れていたお陰で、私はコロコロ変るZIGGYサウンドに何の苦も無く対応出来た。また戸城がフェィバリットとして常に名を上げているし、彼の曲作りは彼らの影響大。最近ではSLUTや森重ソロでもBEATLESナンバーはカバーされている。

森重がLIVEでカバーしていた2曲が収録されている「RUBBER SOUL」(’65)、元祖HMとしてMötleyやVOW WOWもカバーしている「Helter Skelter」が収録されている「THE BEATLES」(2枚組。通称「ホワイトアルバム」)(’68)がZIGGYファンにはいいかな。でもどのアルバムでも彼らは素晴らしい。


JELLYFISH「ZOO&RUBY」制作のキッカケを作ったとも言えるJERRY FISH。「90年代のBEATLES」とも言われ、POPマニアから絶大な支持を受けている。メンバーの一人アンディ・スターマーは奥田民夫との共同作業でも有名。アルバムは2枚しか出ていないが「SPLIT MILK」(’93)の方が完成度は高い。


CHEAP「POPでメロディアスなR&R」という点でZIGGYと共通点が多いはず…でも聞かれてないのがCHEAP TRICK。ボーカリストのロビン・ザンダーは、92年頃森重が「好きなボーカリスト」として挙げていた。また、松尾はファンクラブにも入っていたそうで、名盤「at 武道館」(’78)のライナーに寄稿している。


ロックンロール、サザンロック

STONES何はなくともTHE ROLLING STONES。ZIGGYがどうこう言うより、ロックミュージシャンなら誰もがあこがれるスーパーヒーローである。

63年にチャック・ベリーのカバー「COME ON」でデビュー。65年の「SATISFACTION」の大ヒット以後、常に第1線で活躍。彼らの音楽を聴けば「ロックは必ずしもテクニックが第1とは限らない」事を思い知らされる。特に松尾はSTONESからの影響が大きく、「最も尊敬する人物」にSTONESのギタリスト、キース・リチャーズを挙げていた時期もあった。ZIGGYのパクリネタとして「BEGGARS BANQUET」(’68)「LET IT BLEED」(’69)、それに最もPOPで聞きやすい「STEEL WHEELS」(’89)もいいが、初心者には60年代から現在までを網羅するスーパーベスト「FORTYRICKS」(’02)をオススメとして挙げておこう。
そのSTONESのもう一人のギタリスト、ロン・ウッドが在籍していたFACESも欠かせない。今も第1線で活躍中の名ボーカリストROD STEWARTもこのバンドの一員。

以上2バンドは、いわゆる「土臭い」といわれるアメリカ南部のブルースを元にしたロックンロールが得意だったが、両者ともイギリス人バンド。しかしアメリカ人の南部出身者によるロックが70年代前半に流行した。「サザンロック」と言われるジャンルである。松尾はこのジャンルの大ファンで、特にLYNYRD SKYNYARDには多大な影響を公言しており、ベスト盤「SKYNYRD’S INNYRDS」(’88)の日本盤ライナーは彼の担当である。またギターの師匠として挙げているJOE WALSH。ジェームスギャング、イーグルス、リンゴスターバンドのギタリストとしても知られる。彼のスライド奏法は松尾の手本である。これらのバンドの意志を80年代によみがえらせたTHE GEORGIA SATELLITES。彼らの来日公演に松尾が飛び入りした事でも有名。1st「GEORGIA SATELLITES」(’86)がオススメ。ギタリストのリック・リチャーズは現在GUNS’N ROSES脱退後、STONES的南部サウンドロックンロールを嗜好するIZZY STRADLINと活動を共にしているので、こちらもオススメ。


パンク

NEWYORK元祖パンクともいうべきNEWYORK DOLLSを欠かす事は出来ない。戸城のフェィバリットとしてあまりに有名であるし、「HOT LIPS」のジャケットは、彼らの1stアルバム「NEWYORK DOLLS」(’73)のパロディ。DOLLSの中心人物JOHNNY THUNDERS(何とZIGGYの「PLAYING ON THE ROCKS」にも参加している)は、DOLLS解散後もソロ活動を続け「SEX,DRUG,ROCK’N ROLL」を体現したかのような生活を送り89年に死去した。LIVE盤「D.T.K LIVE」(’82)が筆者の愛聴盤。


RAMONESZIGGYで最も「パンクバカ」だったのは大山。彼がフェィバリットとして挙げていたRAMONESはシンプルな金太郎飴的スリーコードのROCK’N ROLLサウンド。でも甘くメロディアスな独特の味を持つバンドで解散した現在でも絶大な人気を誇っている。

大山がフェイバリットとして挙げていた「ROCKET TO RUSIAA」(’77)もいいが、「ラモーンズマニア」というナイスなベスト盤があるので、まずそちらから…


PISTOLSあとはパンクの代名詞SEX PISTOLS。「パンクはうるさい」なんて先入観にとらわれちゃダメ。今、聞くと最高にPOPでキャッチーなアルバムでもあるのだから…「NEVER MIND THE BOLLOCKS」(’77)は必聴!


J-POP,J-ROCK

森重、松尾が大ファンで、ギタリストの白浜久のアルバムにも参加している点で、まず語るべきがARB。80年代後期のARBのギタリスト白浜久は、90年代半ばのZIGGYを支えたギタリスト、アレンジャーとしても忘れる訳にはいかない。

VOWWOW戸城がアマチュア時代から大ファンで敬愛していたのがBOW WOW。日本のHR/HM界の重鎮で元祖的存在。VOW WOWと改名後は活躍の舞台をイギリスに移し積極的な活動を行った。

ドラムの新美俊宏は解散後、戸城とLANCE OF THRILL、THE SLUT BANKS、BAD SiX BABiESで活動を共にしている。カリスマ的ギタリスト山本恭司はTUSKのソロアルバム「3SONGS」で戸城と共演、ベースの斉藤光浩は91年のツアーで戸城と共演している。


EARTHロックに「わかりやすいメロディ」を導入した先駆者ともいえるEARTHSHAKER。80年代半ばのジャパメタムーブメントのLOUDNESS、44MAGNUMと並ぶ中心的存在。森重がヴォーカルの西田昌司(マーシー)に受けた影響はかなり大きいはずだ。ベスト的選曲の「LIVE IN 武道館」(’86)をまず聴いて欲しい。


SION森重のシンガーソングライター的側面に大きな影響を与えたのがSION。85年インディーズで「新宿の片隅で」というアルバムを発表し、各方面にセンセーションを起こした後、86年に「SION」でメジャーデビュー。

アルコールで潰したとしか思えない独特のヴォーカルスタイルと、独自の詞世界はハマると抜け出せない魅力がある。近年かつての名盤が続々再発されたが、初心者には2枚組ベスト「俺の声」(’01)をまずは聴いて欲しい。


ZIGGYとは、成り立ち、人脈、音楽性などから兄弟的なバンドと言える、RED WARRIORSすかんちTHE YELLOW MONKEY

REDSまずレッズ。彼らは「バッドボーイズロックンロール」と呼ばれた一大ムーブメントのZIGGYと並ぶ中心的存在。

元レベッカの木暮武彦(g 通称シャケ)を中心に86年にレコードデビュー。以後、「CASINO DRIVE」(’87)「KINGS」(’88)などの名作を発表。シーンの頂点に立つものの89年人気絶頂期に突然の解散。97年に再結成されたが、以後再び沈黙。しかし、今年99年に入り三度集結。活躍が期待されたが、結局現在はまたも活動休止中なのが残念だ。


SCANCHZIGGYとは比べ物にならない「パクリ王」すかんち。インディーズシーンで3枚アルバムを発表した後、「恋のウルトラ大作戦」(’90)でメジャーデビュー。

時にジミー・ペイジ、時にブライアン・メイになるローリー寺西のミーハー心丸出しのギターワークと、70年代洋楽と歌謡曲のおいしい所を全部ゴチャマゼにしたサウンドは、森重に「素晴らしい音楽性」と言わせたほど。96年に解散するが、06年に復活、以後不定期に活動を行っている。


IEMON現在は各自ソロ活動に入っているイエモンについては、他のWEBサイトでどうぞ。

日本人の自分に流れる歌謡曲体質の血に自覚的なロックミュージシャン吉井和哉(vo)の姿勢には頭が下がる。個人的には「FOUR SEASONS」(’95)が良いと思うが…。


jullyZIGGYに(特に森重)息づいてる歌謡曲体質に多大な影響を与えているのが西城秀樹沢田研二

西城のボーカルスタイルは、他にもBOOWYの氷室京介に多大な影響を与えている。J-ROCKがお茶の間に浸透する基礎を築いた2大バンドのボーカリストが共に彼の影響下であり、現在のビジュアル系の若手ボーカリストが好んで歌う独特な唱方は、氷室が手本である事から考えても西城はJ-ROCKを語る上で欠かせない名ボーカリストであり、今のJ-ROCKの祖という事もできる。なお、森重とJOEは西城のトリビュートアルバムに参加している。

沢田は、66年にタイガースのボーカリストとしてデビュー後、常に第1線で活躍。80年代半ばまでの快進撃は、ZIGGYのメンバーと同世代の人間には忘れられないだろう。ロックと歌謡曲の重要な橋渡しとなった彼の功績は、もっと評価されるべきだ。ZIGGY結成前の森重のバンドのステージレパートリーに沢田の「危険なふたり」があったという。

※この記事は過去に運営されていたファンサイトの記事を元に再構成させていただきました。



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Top