ZIGGY
YELLOW POP

商品番号:TKCP-30589
Release Date:1992.06.25
Produced by:ZIGGY&坂井紀夫
最高位:8位
きっとファンなんて所詮、エアロスミスとかハノイロックスとか、モトリークルー=ZIGGYぐれーのさ、その真似っこがZIGGYっていう ような感覚でしょう。もうそれが何よりも1番イヤだったんです
戸城憲夫/92年「ROCKIN’ ON JAPAN」インタビューより
「KOOL KIZZ」がオリコン1位を獲得し、飛ぶ鳥も落とす勢いで走ってきたZIGGYは、突然91年1月より無期限の活動休止に入った。この期間は彼らは表立った音楽活動はせず、友人のLIVEにゲスト参加したり、趣味に走って骨休みといった自由な行動をとっていた。
そして91年暮れ、彼らはレコーディングのために再び集結する。しかしこの時のリハーサルは4人4様に足並みが揃わず、違和感を感じるものになってしまった。特に戸城は、復活作として、当時気に入っていたEXTREEMなどに影響されたファンクメタルぽい曲を提示したという。「みんなを驚かせたい」という彼らしい暴れぶりだったのだが、この路線は松尾、大山にとっては全くカラーに合わないもので、当然のごとく挫折。この出来事が戸城を「中途半端なテクニックで、今までのようなハードロックをやるよりも「色褪せないいいメロディ、いい楽曲」という方向に向かわせ、結果として当時のZIGGYとしては異色の[1][2]といったBEATLES的なPOPSが生まれ、多くのファンを驚かすことになる。
一方、森重は従来通りメロディアスな楽曲を多く提示しており[6]では「TOKYO CITY NIGHT」以来の水っぽい歌謡ロックが聞ける。
戸城のPOP路線が、あまりにもそれまでの彼の「HARD&WILD」のイメージに合わないせいか、不当に評価の低い作品だが、アルバムとしての水準はかなり高い。松尾のマンドリンをうまくからませた[3]は、戸城の自信作だし、戸城のベースが「リードベース」といった感じで大活躍し、松尾が得意のスライドと、オーソドックスなR&Rパターンのソロを組み合わせる[12]などは絶品だ。
しかし、戸城が作詞作曲、リードボーカルまで担当した[11]や、ストリングスをバックに森重が歌い上げる[13]などが収録されているところからもわかるように、二人のエゴの肥大と意地の張り合いのアルバムと見る事も出来る。そうして松尾、大山の居場所がなくなってきたという面も否定できないだろう。分裂の兆しは確実に見てとれる。
松尾はこのレコーディングでの違和感から2月には脱退を決めたが、マネージャーらの必死の説得により、ツアー終了までバンドに残る事を了承している。そして、このアルバム発表後のツアーとして8/17の武道館を最後に松尾、大山が脱退。黄金期の4人のZIGGYはこうして終わったのだ。
※この記事は過去に運営されていたファンサイトの記事を元に再構成させていただきました。

