ZIGGY

PROFILE

新たな旅立ち。最強のR&R BAND誕生!

そして2000年12月9日の渋谷LA MAMA.。遂にSNAKE HIP SHAKESの全貌が明らかになる。メンバーは戸城を除くZIGGYの3人と津谷正人。このステージで森重は「真実は一つ」と語り「マケイヌ」を演奏。それまで全て新曲を演奏していた彼らが、ZIGGYナンバーをプレイするという事は、「この4人こそZIGGYである」という宣言にも等しかった。

この衝撃の初ステージを経た後、彼らは精力的にLIVE活動を開始。アマチュアバンドや、全く毛色の違うミュージシャンとの対バンは、過去との栄光との決別でもあるかのようだった。ちなみに、なぜZIGGYではなく、SNAKE HIP SHAKESなのかというと、契約上の問題で半年間ZIGGYの名前が使えなかったため、契約に縛られて半年間何も動けない事を嫌った4人が、それまでの間活動するためにSNAKE HIP SHAKESを名乗ったと言うこと、後任の津谷にプレッシャーを与えないため、ZIGGYの名前で敬遠してる人たちにも聞いてもらえるように……など様々なな理由がある。しかし「ZIGGYの表札の上にSNAKE HIP SHAKESのステッカーが貼ってある」という津谷の名言からもわかるように、実体は限りなくZIGGYといっていいものだった。

SNAKE012000年4月、契約問題に縛られた半年が過ぎても、彼らはSNAKE HIP SHAKESのままだった。5月のLIVEでは、JOEのバスドラにSNAKE HIP SHAKESのロゴが入り、本格的にSNAKE HIP SHAKESとやっていくことを決心したのが見て取れた。そして待ちに待った音源の発表。メルダックとの契約に成功し、6月に1stシングル「永遠のJustice~この道の果てに~」、7月に1stアルバム「SNAKE HIP SHAKES」が発売される。メンバー全てが同じベクトルを向いて作られた傑作R&Rアルバムで、各方面からも絶賛されZIGGYの名前を使わなかったにもかかわらず、まずまずのセールスを挙げ、活動は遂に軌道に乗った。

続いてメルダック側からZIGGY時代のリメイク集の発売を要請され、セルフカバーアルバム「NO DOUBT」を前作からわずか3か月後の10月に発売。これについては、ファンの間でも賛否両論が起こったし、個人的にも一言あるのだが、次作発表のための企画モノと考えれるべきだし、そういったアルバムにも全力を尽くしたメンバーたちの姿勢に感謝すべきであろう。

そういった努力も実り、翌2001年4月には新作「VIRAGO」が発表される。前作よりも、やや音楽の幅を広げ、キーボードや女性コーラスを導入したことで、深い味わいが生まれ、バラエティに富んだ素晴らしいアルバムが完成した。4人のチームワークの良さとテクニックを堪能できる「STONE BLIND SILVER」、森重のメロディメーカーとしての実力を発揮した「お気に召すまま」「澱みない宵闇の蒼さの果てに」など傑作揃い。STONESのような「DEADEND KIDS」、渋い味わいの名バラード「DEAR MY FRIEND」など4曲を提供した松尾の貢献度も高い。

そして5月からは、17公演に及ぶ長期ツアーを実行。さらに年内にもう1枚「NEVER SAY DIE」というアルバムを完成させ、脅威のハイスピードでの活動は続いた。このアルバム制作途中、エンジニアとの対立という事件があったものの、出来上がった作品は、またもバンドの状態の良さを証明したクオリティの高い作品だった。楽曲のクオリティも目を見張るものだったが、作詞面での森重の充実度が興味深い。「RAIN」「時は誰も」といった内省的な今までの森重らしい歌詞も素晴らしいが、「STRONG WILL」では困難を乗り越えた男の力強い自信を歌い、上昇気流に乗ったバンドのフロントマンの勇ましさを感じさせる。そして、このアルバム発表後に行われたツアー開始直後、2002年1月20日の渋谷AXのLIVEで、今後この4人のメンバーでZIGGYを名乗る事が宣言され、全力疾走で駆け抜けたSNAKE HIP SHAKES時代は終焉を迎えることとなった。失ったものを自らの力で取り戻したこの時期の活動は、今後のZIGGYがどのような道をたどろうとも、メンバー、ファン共に誇りを持って語ることが出来る素晴らしい時期だった。

曲がりくねった道は続く…

2002年4月1日に、SNAKE HIP SHAKESはZIGGYへと戻った。ここで更なる高みへ……といきたいところだが、何事も順調に行かないのがこのバンド。

heaven_hell6月に「SNAKE HIP SHAKESとZIGGYへの架け橋」と位置づけ、LIVEでも演奏されていた「HEAVEN AND HELL」が、ZIGGY復活第1弾シングルとして発売され、7月に同曲をタイトル曲とした「HEAVEN AND HELL」(通称・金盤)と題されたZIGGY復活アルバムが発表された。「速さの限界に挑戦」「みんなをビックリさせたい」と自信満々な鼻息の荒いメンバー達だったが、バラードは一切収録されず、アッパーな曲ばかり集めたこのアルバムの反応は、まっぷたつに別れた。賛辞の言葉と共に、中傷とも言える言葉が飛び交ったオフィシャルホームページの掲示板は、過去にないほどの荒れ方を見せ、閉鎖に追い込まれている。ZIGGY復活の第1弾としては安全策を採るべきだったのかも知れないが、結局ここでも彼らが選んだのは「好きなことをやる」ことだった。個人的には、それをやるタイミングではなかった……とも思うのだが、どんな状況にあっても、やはり彼らは彼らだった……ということなのだろう。

メンバーは、2002年を「アニヴァーサリー・イヤー」と位置づけ、9月に日比谷野音で結成15周年のアニヴァーサリーLIVEを行い、大成功を収め、ヒストリー本「HEAVEN AND HELL -SIDE HELL-」と写真集「HEAVEN AND HELL -SIDE HEAVEN-」という記念出版物が後に続いた。締めくくりに12月には金盤の続編「HEAVEN AND HELL II」が発表された。続編とは言え、金盤とは全く正反対のスロー、ミディアムな曲ばかり集められたアルバムで、「BURNIN’ LOVE」「Jealousy」などのリメイクも収められている。楽曲の質は、金盤とは比べものにならないくらい高いものだったが、こちらもやはりハードなZIGGYを求める層の不満はぬぐえず、否定的意見があちこちから聞かれた。さらにこの後、行われたツアー最終日の2月の赤坂BLITZの公演が森重の体調不良により延期されるというアクシデントがあり、ZIGGYへの逆風は少しづつ大きくなっていているように見えた。

もちろん、この程度で彼らはへこたれはしない。9月に「THIS IS ZIGGY」という森重のコンセプトを具体化した新作「ROCK AND ROLL FREEDOM!」が発表され、その後の長期ツアーも無事成功させる。しかし、この頃からZIGGYの方向性を巡り、森重と松尾の対立が目立つようになる。その影響か、ツアー最終公演の川崎で、森重はステージ上「今のZIGGYは過渡期で、変化の時期に来ている」という意味深な発言を行った。次のアルバムは、40代のロックバンドとして今後の活動の基盤になるようなものにしたいと言う。



これまでのコメント

  1. hry より:

    ライブハウスが楽しい。ノリノリ光栄

  2. 田中 弘代 より:

    こんにちは、極楽倶楽部の情報がまだまだ届いてないです。よろしくお願いします

    • JROCK NOTES より:

      こちらはオフィシャルサイトではありませんので、公式の方へお問い合わせをお願いします。

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