ZIGGY
PROFILE
どん底…?
97年になり、ZIGGYはイチかバチかの勝負に出た。3月に発表された新作「CRAWL」は、まるで今までのファンを締め出すかのような大胆なサウンドアプローチがとられている。「70年代洋楽テイストに、日本人ならではの親しみやすいメロディ」という観点でのそれまでのZIGGY像が、全く通用しない90年代のグランジを通過したハードな作品集で、インパクトは十分だった。また、前作で髪を切りパンクスのようになった戸城に続き、森重までも中学生の時以来という短髪を披露し、ファンは二重の驚きを味わった。質の高いものを作っているという自信があるにも関わらず、セールスは落ち込み、ファンからは4人時代のZIGGYを要求されるといったジレンマからの精一杯の抵抗だったのだろう。しかもこのアルバム発表後のツアーでは4ピース時代の曲は1曲も演奏されない徹底ぶりを見せ、昔の自分達からの決別を意識的に行っていた時期だった。しかし当然のことながら1部のファンを除いて、彼らのこういった行動はファン離れを加速させ、ZIGGYを益々窮地に追い込むことになった。戸城の別プロジェクトTHE SLUT BANKSも少しづつ軌道に乗り、JOEはX-JAPANのhideと共に「hide with Spread beaver」としての活動が目立ち、森重も白浜久、神田和幸と「森重樹一 with EXILES」として、初のソロライヴを実現させる。さらに追い討ちをかけるようにマーキュリーとの契約が切れ、いかにも契約消化のためとしか思えないBest盤「What’s Best!?」がリリースされるものの、セールスは全く振るわず…といった状況から、誰の目にもZIGGYの解散は時間の問題に見えた。
復活の時…しかし…
解散の文字が森重の頭に浮かびつつは消えて散った頃、スタッフから松尾宗仁復帰の提案がなされた。解散か松尾復帰か……悩む森重だったが、「最後の残された可能性」として松尾復帰を決定し、ZIGGY史上最強のメンバーが顔を揃え、崖っぷちのZIGGYの再建が始まった。ZIGGY脱退後は、それまでの彼の土臭いR&R志向からかけ離れたPOPな自作曲をZNX、TRYBECCAというユニットという形態で披露するという音楽活動を続けていた松尾だが、97年暮れに、事務所の社長よりZIGGY復帰の話を持ち掛けられたのをキッカケに再加入の話が進展し、まさかの復帰が正式に決まった。
98年4月1日、新宿ロフトに無名のR&Rバンドが初ステージに立つ。そのバンドTHE KING OF GYPSYZは、まさに松尾が復帰したZIGGYそのものだった。噂はたちまち広がり、ライヴが行われる会場は、いつも満員。そして6月にはTHE KING OF GYPSYZとしてワンマンLIVEを敢行。このLIVEの後、正式に松尾をメンバーに加えたZIGGYとして再出発することになる。
翌99年2月には、往年のZIGGYサウンド炸裂のシングル「マケイヌ」が発売され、3月にはNEW ALBUM「Goriath Birdeater」が発売された。近年の音楽的試行錯誤は、一旦決着が付けられ、基本的に従来のZIGGYのイメージに近い作品が並べられている。楽曲のクオリティは高いものの、プロデューサー・佐藤宣彦の意向とメンバーの指向はズレがあったようで、オーバープロデユースにより楽曲の輝きが抑えられた部分がある事も否定できない。
こんな中、戸城の不満は、少しずつ大きくなっていく。アルバムの収録曲のアレンジを巡り、納得できない思いを雑誌のインタビューにブチまけたり、新作を出したにもかかわらず、レコード会社の意向により、ツアーはホール3カ所で終了したり、新作の12月発売を目指しプリプロに入った時点で森重との音楽性の違いを一層確認させられたり……
そして運命の分かれ道は、福岡にて行われたイベントLIVEの7/7。このLIVE開始前のミーティングで森重は、今後の事やレコード会社の事を話合い、「自分は、まだ君にとって音楽を作って行く上でよいパートナーであるのか?」と戸城に質問したという。戸城は、直接その問いには答えず「ストレートなR&Rに昔ほどの嗜好は無い」と発言。その場は、何とか収まったものの数日後……遂に「オレは辞めた方がいいんじゃない」という脱退宣言が飛び出した。
もちろんメンバーは全員反対。しかし戸城の気持ちは固く「3人で話し合って欲しい」と言うことになる。考え、悩み抜いた末、森重は戸城抜きでもバンドを続けたいと結論を出す。松尾、宮脇も解散には反対で、バンド継続を希望。10/1に正式に戸城憲夫脱退が決まり、それに伴いSMEとの契約も解除となった。(しかし、契約解除に伴う事務的な事や、ファンに無責任な噂等でこのとを知られたくなかったため、正式な戸城脱退の報は2001年1月のファンクラブ会誌「極楽図鑑」38号の森重の声明文まで発表されなかった)
戸城は以後、THE SLUT BANKSに専念し、アルバムを発表するものの、ボーカリストTUSKの脱退によりTHE SLUT BANKSは解散。ボーカリストにTHE HATE HONEYの高木フトシを迎え、残ったTHE SLUT BANKSのメンバーと共にBAD SiX BABiESを結成し精力的に活動していたが、このバンドもアルバム発表に至らず空中分解。以後、友人の藤沼伸一、横関敦らのライヴにゲスト出演する以外目立った活動の無い状態が続いていたが、2004年にThe DUST’N’BONEZを結成し、シーンに復帰している(詳しくは後述)。
戸城脱退が決まって、メンバーは後任のベーシスト捜しに着手し、旧知の友人PSYCHO CANDIEのベーシスト津谷正人を(サポート扱いではあるが)迎え入れ、リハーサルを始めた。津谷は、広島に住んでいた一ZIGGYファンの頃、LIVE会場で出待ちをしていたら、松尾に呼び止められ、そのままローディーとしてメンバーと親しくなり、以後、松尾とのセッションバンドや森重のソロツアーに同行するなど深い関わりのあった人物である。そして2000年10月のファンクラブ会報でSNAKE HIP SHAKESという謎のバンドが00年12月9日にLIVEを行うことが告知された。

ライブハウスが楽しい。ノリノリ光栄
こんにちは、極楽倶楽部の情報がまだまだ届いてないです。よろしくお願いします
こちらはオフィシャルサイトではありませんので、公式の方へお問い合わせをお願いします。